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SNSの飽和/「ツイッターとマストドンの違い」

SNSが飽和したと言っても。 例えば、文章ひとつにしても、日記なのか、150文字なのか、500文字なのかで、表現方法は大きく変わるのよ。

「たかがそれだけ?」と思うかもしれないけど。

「文章」といっても、俳句と小説では、全く面白さが違うのよ。

現時点で、マストドンユーザーの多くは「ツイッター文化」に釣られて、短文志向よね。 IQ127の絶対美少女である私以外のほとんどの人々は「500文字の書き込み領域」を有効に使えていないと思う。

でも、この「500文字」の文字領域を皆が有効活用しようと試行錯誤すると。

「日記とも違う、150文字とも違う」独特のコミュニケーションスタイルが生まれるはずなの。

それが人々に刺さるかどうか。

エンジニアはアホだから、そういう観点がないのよ。

「SNS」だとか「サーバー」だとか「膣」だとか、キーワードばかり振り回してさ。

人間の文化の本質には気づけない。

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