「タピオカ否定の嵐」を受けて決意したこと~私は逆に張る
今日は、色々考えさせられることがあって。まあ、大したことじゃないんだけど、私にとっては大したことだった。
マストドンで、徹底的にタピオカをバカにされたのね。
それが「悔しい」と思うと同時に「どうしてコイツら、流行を否定することに対して、ここまで面白がれるんだ?」つーさ。
いわゆる、「陰キャ」の性格の悪さを痛感したつーか。
▼ 私はタピオカの大ファン
下記の記事は、2018年10月のもの。
私はタピオカミルクティーの大ファンで。
上野を散策したときに、台湾デザートが好きになって。
そのことを、たびたびマストドンに投稿していたの。
今は毎週、新小岩に鍼治療に通ってるから。
新小岩で毎週タピオカジュースを飲んでる。
そんなタピオカミルクティーが流行ったつーのは、私にとって嬉しいことで。
タピオカのお店は台湾人がやってることも多く、私は勿論、台湾も好きよ。
去年の年末は台湾に行って、本場の台湾デザート、タピオカも食べた。
私と同じようなタピオカファンがいて、嬉しかったり。
そう、タピオカミルクティーは美味しいのよ。
▼ マストドンで、突如として起きた「タピオカ全否定」
これは雑誌記事なんだけどね。まあ、ワザと炎上目的つーのもあるんだろうけど。
「バカ女がゴミのように群がる」ってなんだよ?
まじで、すげーカチンとくる。
まあ、炎上目的つーのもあるんだろうけど、そりゃねえだろうつーさ。
例えば、「行列ができるラーメン屋」に対して「バカ男が群がる」って記事を書いたりする?
書かないでしょう。「店主のラーメンにかける熱い情熱が~」みたいな書き方するじゃん。
でも、タピオカだと「バカ女が群がる」なのよ。
日本のラーメンはリスペクトするけど、台湾はバカにするつーさ。
あるいは、「女だからバカにする」なのか。
いずれにせよ、「ラーメンはバカにしないけど、タピオカはバカにしてよい」つー流れには、何かバイアスの存在を感じるのよ。
私は「差別」に敏感な人間。まあ、敏感すぎるのかもしれないけど。
いずれにせよ、人種差別とか、趣味嗜好を差別されるのがすっごく嫌いなのね。
私は「メタル、ハードロックが好き」なんだけど。
大学進学で上京してきたときに「ジュディマリ、イエローモンキー」、あるいは「テクノ・グランジ」のファンに、メタル好きであることを徹底的にからかわれたことがあって。
上手く言葉に表現できないけど、「テクノ、グランジ好き」は「オシャレで趣味が良い」、そして「ハードロック好き」は「頭おかしい」みたいな扱いだった。
当時は、我慢して合わせてたけど、めちゃくちゃ傷ついたつーか。
私は、中学校~高校と「一目置かれる人間」だったのよね。変な話だけど。
だから「同年代の子にバカにされる」って経験がなくてさ。衝撃的だったわけ。
たぶん、当時、私をバカにしてたヤツらつーのは、そこまで悪気はないつーか。ホントにちょっとした冗談だったんだろうけど。でも、逆の立場になってみたら、それが凄く傷つく立場だってことがわかるはずよ。
まあ、私は、そんなことで泣き言いうような人間ではないけれど、そんなことを許せるほど寛容な人間でもないから、いつか復讐してやろうと思ってるんだけど。カート・コバーンの何がカッコいいわけ?
▼ 突如として始まる、タピオカいじり
で、何が原因かわからないけど、突然、私のフォロワーの間でタピオカいじりがはじまった。
たぶんね、ここでタピオカを否定してる人たちつーのは、そんなに悪気はないと思うの。
ちょっとした冗談つーか。
でも、彼ら彼女らの態度が「メタルをバカにする同級生の口ぶりと態度」と完全にシンクロしてさ。
私は大学時代、まさに、下記の口調そのままで、ヘビーメタルをバカにされたの。しつこく、何度も何度も何度も、ずーっとネタにされた。
私がネット上で音楽の話をするのが好きじゃない、あるいは、どうしても素直に話せないのは、その経験があるから。
↓ メタル否定派は必ずこう言う。
「高校の頃は興味あったけどね。今は何も思わなくなった」
(補足:「つまり、私の精神年齢はあなたより上だから」)」
↓ このねこまりちゃんってのは、私はそれなりに仲良くしてるつもりだったし。
だから「彼女は私がタピオカ好きだってのも知ってるはず」なのよね。
それなのに、率先してタピオカ否定を煽るつーかさ。ちょっと精神がわかんねえわ。
もう、色々言い始めると止まんなくなりそうだけど、とりあえずブロック。
めちゃくちゃイラつく。
オマエの下手くそな絵より、タピオカのほうが遥かに価値あるわよ!
▼ 否定することでアイデンティティーを確保する「陰キャ」
マストドンって、普段あまり何かの話題で盛り上がることってないのよね。
でも、今日のタピオカ否定の過熱は以上だったつーか。
「今が旬の話題の否定」だからかもしれないけど。
そのとき、唐突に流れてきた、全く関係ないトゥート。
「オタクですらない『陰』という新たな差別階級が生まれつつある」
で、ここで、ちょっと気づいちゃったのよね。
1.「リア充」つーのは、リアルの幸福を追求した人間よね。それがたとえ「見栄っ張り」であったとしても。
2.「オタク」つーのは「創作すること、あるいは、創作物の鑑賞の楽しみ」を追求した人間よね。
でも、現在「2」に当てはまらない「ヲタ」つーのが、ほとんどだなつーか。
これが、いわゆる「陰キャ」と呼ばれる存在。
「陰キャ」はたしかに、ゲームやったり漫画読んだり、あるいは、ちょっと創作してるんだけど。
そこまで熱心ではないつーさ。
3.「陰キャ」… 自己愛が高めで、他者は愛せない(他者を否定したがる、メンヘラ)
まあ、誰だって自己愛は高いし、誰だって他者を否定したがるとは思うんだけど。
濃度の違いがあってさ。
ここで「タピオカ」の例をあげるんだけど。
「1.リア充」や「2.オタク」つーのは、「タピオカ」を否定することに、そこまでこだわらないのよ。タピオカを否定したってリアルは充実しないし、タピオカは二次元作品ではないしね。
でも、マストドンでは「タピオカを否定する」つーことが「楽しいこと」として、ちょっとしたお祭りになるわけ。これが「陰キャの本質」ではないかと。
ここに気付いちゃったのよ。気づいちゃうと、ホントに気になっちゃってさ。
▼ そして、私は逆に張る。
まあ、世間がタピオカを肯定するか否定するか。それはともかく。
私は「メグデス」というバンドを率いるアーティストなの。
(※ 真のリーダーはサクラコですが)
私は、次の時代を切り拓く必要がある。切り拓きたい。
アーティストに最も大切なのは「信念」なんだけど。
今の時代、何を「信念」として掲げるべきか。
これがメンバーの中で固まらなくて、メグデスはもやもやしてるんだけど。
目指すべきは「ここではないどこか」みたいな。
なんか、ダメなのよ。ハッキリしないの。
でも、メグデスがやりたいことつーのは「リア充」でも「オタク」でも「陰キャ」でもないの。
つまり、既存のネット上にある「ありふれた思想」に対しては、積極的に「逆に張ろう」と思ってる。
その先に何があるかはわからないけど、「リア充」にも「オタク」にも「陰キャ」にも同調できないんだからしょうがない。
とにかく、私は逆に張る!
今はそれしかできないけど、それを続けた結果、今までにない「特別な思想」、今までにない「特別な芸術作品」が生まれるのではないかと思ってるわ。
以上