到来する「ポストコロナ時代」を大胆予想!「コロナは神から与えられた課題」
いえーい、皆さん、コロナ楽しんでる?今回のコロナはとても残酷で、被害の「明・暗」がハッキリわかれちゃってるのよね。ある業種の人々にとっては、もう大損害だし。ある業種の人々にとっては「儲かってしょうがない」って感じだと思う。
▼ コロナによって大躍進する会社がある。これは間違いない。
また、受け止め方も様々で「テレワーク最高!、もう二度と会社になって行きたくない」って人もいるだろうし、その一方「外出できないって最悪、鬱になる…」って人もいると思う。
▼ 仮にコロナが終わった後、もう一度、こういう思いをして働きたいと思うだろうか。また、こういう生活や働き方に喜びを感じられるだろうか。
■■ コロナで人々の価値観は大きく変わる
コロナというのは、果たして何者なのか。ある人々にとっては「悪魔」、ある人々にとっては「救いの天使」のように見えるんじゃないかしら。私は正直、世の中がどう変わるのかワクワクしてる。
私はIQ127で言語能力に特化してるんだけど。私みたいな人間って、大きな組織だとかチームではチカラが発揮できないと思う。かといって、どこならチカラが発揮できるのか…。ちょっと自力では見えてこなかったのよね。
サボってたわけじゃないけど、でもまあ、大したことできないだろうなつーか。勿論メグデスは全力でやってるわよ。6年間、全力でやった。でもまあ、ここぐらいが限界かなつーか。そうこうしてるうちに歳もとって子供もできて。この前、ウチも子供の学資保険に入ったんだけどさ。もう、あとは子供のためにお金積み立てるだけつーか。「よくここまで来たな」という気持ちもある一方、「ここまでか…」つー諦めみたいなのもあって。でももう、道が固まっちゃってるから、これを崩せないのよね。
ところが、コロナでガサッと社会が変われば、またどこかで面白いチャンスが来ないかなつーか。まあ、自分自身の「社会が変わればいいな」つー期待も込めて「コロナで人々の価値観は大きく変わる」と予測してる。
▼ ネトゲやりながら会社の仕事をやるとするでしょ。そのとき「会社内での肩書・年収」と「ゲーム内での肩書・年収」は「並列」になると思う。
例えば、これまでリアルで稼いでネトゲにお金を使ってなんらかの「ポイント」を獲得している人がいるとするじゃん。でも、ゲーム内でゲームのポイントが稼げるのであれば、会社の仕事でお金をもらって、それをゲームのポイントに「換金」するのと、ゲーム内でポイントを稼ぐのは、すなわち「イコール」になるのよね。あとは、「どっちのほうが楽しいか、やりがいがあるか」というだけの話でさ。
少なくとも、コロナによってメグデスが「被害を被る、活動がやりにくくなる」ことはないのよね。メグデスはもともと「ネットで活動が完結するバンド」だから。何かがマイナスになることはない。その上で「社会が変わる」のであれば、自力では切り崩せなかった壁にほころびができて、そこから突破できないだろうかつーさ。
▼ リーダーのサクラコはコロナ到来を「遂に扉が開いた」と表現している。「リアル世界」の動きがコロナで停滞したら、「ネット世界」の力が相対的に上がるんじゃないかつー予測よね。
▼ テレワークによって「会社」という組織が解体されて、かつ、外出の機会が大幅に減るなら、「出世競争」つー概念もなくなると思うの。「肩書、過剰な富」つーのは「見せびらかす」ためにあるわけだけど、見せびらかす場が大幅に減るわけだからね。
▼ 価値観が変わると「差別の対象」も変わる。例えば、昔なら「田舎者」っていう差別があった。「享受できる文化」が都会に集中するのであれば、都会にいるほうが「文化的をたくさん持っている」という意味で「上層」になるわけだけど。コロナで外に出れなくなるなら、都会の人々というのは単に「狭い部屋に住んでいる人」ってだけになる。
また、「コロナ」というラベリングは、子供っぽい「うんこ」みたいな差別とも似ていて。例えば、どんなお金持ち、どんな立派な職業の人々であっても、コロナにかかった瞬間「うんこ、病原菌扱い」されるような社会になったら、全てがひっくり返るわよね。今までは富で「勝ち組、負け組」つー差別があったけど。今後は「コロナ、非コロナ」という「土地差別」みたいなのも生まれるかもしれない。その場合、人が密集している「東京」は「汚い土地」として差別対象になる。これは「例えば」の話だけどね。
▼ コロナによって相対的に「ネット社会の力が増大する」と予測する一方、矛盾するようだけど「コロナによってリアルの影響力が増す」と、サクラコは言ってる。これまで現実世界つーのは「何も起きない場所」だったのよね。現実世界で「何かを起こせる人」つーのは、非常に限られていた。それはスティーブ・ジョブズのような経営者だったり、あるいは、麻原彰晃のようなテロリストだったり。ところが、ここしばらくは「近所の〇〇さんがコロナにかかった!芸能人の〇〇さんがコロナで死んだ」というリアルな情報が、人々の一番の関心ごとになる。単に「志村けんが死んだ」だったら「ああ、まだ若いのに」でフワッと流されていた情報が、「志村けんがコロナで死んだ」となると、物凄くリアリティを持って迫ってくるのよね。そういう意味で「リアルの影響力が増す」ということ。
▼ サクラコはコロナによって「感覚が変わってしまって、心の拠りどころがわからなくなっている」状態。だから、曲が書けない。これはどういうことかというと。例えば、歌の歌詞で「抱きしめたい」つー言葉があったとするじゃん。これまでの感覚だったら、それは無条件に「愛、セックス」という「ポジティブな感動」と結びついていたわけだけど。今の感覚だと「コロナ移るかも、病原菌、汚い」という印象がまとわりつくでしょう。だから、直観的にパッとメロディーと歌詞が出てこないということ。「歌の世界観」を変えなきゃいけないのよね。でもまあ、幸い、メグデスの芸術テーマは「セックス・ファンタジー」なので、微調整するだけで感覚は取り戻せるんじゃないかなと思ってる。
▼ 私はコロナで「鬱」になっているわけじゃないけど、「感性」を再構築してる感じ。例えば、コロナが流行したらファッションの感覚も変わるはずなのよね。「ヒジャブ」なんかは、とてもクリーンでセクシーなイメージあると思う。
■■ コロナは大富豪における「革命」
資本主義や「勝ち組、負け組」の世界で「良い気分」に浸れる人つーのは、圧倒的少数だったのよね。でも、コロナでテレワークが主流になったら、みんな色んな価値観で「良い気分」に浸れる。「最大多数の最大幸福」の概念からすると、資本主義より「コロナ主義」のほうが、たくさんの人々が幸せになれる。私は、かつて私個人の独特な「共産主義」を唱えていた。「コロナ主義」つーのは、奇しくも、良い塩梅で「共産化された資本主義」を実現するのではないかしら。その新しい価値観の上で、それぞれが「幸福」を追求していく。
私は「自分がまだ大きな実害を受けていない」という幸運で身勝手な立場から、この「コロナ主義」の到来を歓迎している。これが「正直な気持ち」よ。
■■ コロナは「神から与えられた課題」
メグデスというのは「MEGA-DEATH(100万人の死)」という意味からつけられた。私やギタリストのジャイアントがヘビーメタルバンド「Megadeth」が好きだつーことや、あるいは、メインボーカルが「メグ」だから「メグです→Megdeath」だったり、そういう洒落もあるんだけど。でもまあ、バンド名に込めた一番の願いは「100万人の死」なの。誰だって、100万人ぐらい殺したい人がいるでしょう?
これは世界を不幸にしたいわけじゃなくて、なんつーか、人々が文化的で幸福な生活を送るためには100万人ぐらい死ななきゃダメじゃないかつーか、そういう感覚からつけたネーミング。私は、ボカロブームのときに、みんなが情報操作で金を稼いでるのが、本当に嫌だったから。この場合の「100万人」つーのは、無差別殺人とは違うわよ。
「私の正義の基準で殺さなきゃいけない人が100万人死ねばいいのに」という独善的な感覚。
でも、世界は私を中心に回ってるわけじゃないからさ。私から見たらAくんは死ぬべき人間だけど、Aくんから見ると私こそ死ぬべき人間だっていうことだってあるわよね。争いによる「100万人の死」は幸福をもたらさない。
でも、コロナによる100万人の死つーのは、世の中を良い方向に変えてくれそうな気もするのよね。これって、自分自身でリスクがコントロールできる「死」でしょう。また「創意工夫」で乗り越えたり、チャンスに変えることができる危機でもあると思うの。勿論、本当に運が悪くて死んでしまう人もいると思うけど、基本的には「良い意味での試練」ではないかしらね。私はコロナを「厄災」ではなく「神から与えられた課題」として、前向きに受け止めているわ。課題をこなすのは大変だけど、やれば実力が身につくというか、そういう意味で。少なくとも「騙しあい、政治的圧力、忍耐」を強いられるだけの資本主義よりも、ずっと「知恵や言葉」を使うチャンスがある。
もう、ウンザリしてたのよ、本当に。
以上