宗教団体真メグデスはオリンピックを応援します!/ボカロをやってるヤツはいじめ肯定派?ボカロ丼の実情
いつもニコニコ元気なマンコ、IQ127の絶対美少女ミッキーです。唐突ですが、メグデスはオリンピックを応援します!
開会式の直前まで、オリンピック反対派だったし。開会式の間も、気持ちは揺れ動いていたけど。見終わったら「応援しよう」と思った。これはもう、ロジックじゃなくて感情の結論。
先日、事務局が「ミッキーはオリンピック反対派だ」と記事にしていて、それは相違ないけれど、気持ちに変化があったので訂正しようと思った。
ただ、メグデスがオリンピックを応援するとはいっても、反対派の意見ももっともだと思うし、尊重したい。むしろ、論理的には開催を中止するほうが正しいと思う。オリンピックを強行開催したことで、大きな不幸が起きる可能性は、依然として残っている。また、金持ちの興行ビジネス、アスリートのセックス大会に、税金を投入する意味はなんなのか?別に、興行ビジネス事態は全く問題ないし、美貌や肉体に恵まれたアスリートがオリンピック村でセックスに励むのも全然否定しないけど、それを、税金を使ってやるのは間違いだ。
■■ 頑張ってきた、世界の若い子の晴れ晴れしい笑顔を否定したくない
私は今回、生まれて初めて、オリンピックの開催式を、最初から最後まで、映像で観た。色々と複雑な想いは交錯するけど「頑張ってきた、世界の若い子の晴れ晴れしい笑顔を否定したくない」というのが感情の帰結だった。人間は論理で動いているわけではなく、感情で動いている。また、この世に完全無欠の正義はない。それを踏まえた上で、開会式の、本当に努力してきた人間だけが持つ「晴れ晴れしい笑顔」を見たら、これは否定すべきではないと感じた。ごく一部の人間だけじゃないのよね。世界中の、あらゆる民族の、あらゆる肌の色が、最高の笑顔で入場する。彼らは役者じゃない。本当に嬉しいわけよ。この「嬉しさ、晴れ晴れしい笑顔」を論理で否定したら、もう人間が人間として生きる意味がない。人間はロボットにならなきゃいけない。これは絶対に否定すべきではない。そう直観で感じた。
また、私は反自民党よ。絶対に許せない。でも、これだけトラブルがあって、でも、問題のあった人間を世論に従って大会直前でクビにして、けじめをつけて、色々配慮し、その上で、無事開催式をやりきった図太さ、手腕は、高く評価されるべきだと思う。こういった「粘り強さ」は、人類に絶対に必要不可欠。「もう、日本、ホントにダメじゃないか。アタマ悪すぎじゃないか」と絶望してたけど、無事やり遂げた開会式を見終わって頼もしく感じた。仕事はさ、途中ぐちゃぐちゃでも、最後までやり遂げることが重要でさ。この最悪の状況でやり遂げたつーのは、ホントに凄いことよ。素直に賞賛したい。
以上、色々熟慮して「オリンピックを応援しよう」と思った。これが私の感情の帰結。論理的な矛盾点はたくさんある。また、開催中、開催後も、色々な問題が発生するかもしれない。極端な話、ウチの子がコロナで死んじゃう可能性だってある。私自身も苦しんだしさ。でも、色々な論理的な矛盾点やリスクがあっても、このオリンピックには「開催する価値がある」と感じた。今後の問題も、今回のオリンピック開催式のように、ベストを尽くして、粘り強く、丁寧に対応すればいい。人間なんだから判断を誤ることはある。「オリンピックなんて開催しなきゃよかった!」っていうような事態も発生するかもしれない。でも、今回の開催ぐらい、ベストを尽くして、配慮を尽くしてやってんだったら、もうしょうがないわ。起きたら起きたで、事態の収束に対してベストを尽くせばいい。その選択肢の中に「開催中止」というのがあってもいい。その時、取れる手段の中でベストな選択をしてほしい。
まずはオリンピックが、日本で開催されたことを喜びたいと思う。
▼ オリンピック開会式の間の私の気持ち
■■ ボカロをやってる人間はいじめ肯定派?ボカロ丼の実情
客引きのために大げさな見出しにしただけで、そんなに大きな話題じゃないんだけど。私の話とは別に。オリンピック開催に関して、サクラコがぶつかった「感覚の違い」についても紹介したいと思う。サクラコは「ボカロ丼」というSNSにいる。ボカロユーザーが集まっているSNSね。
そこで、「小山田の過去のいじめ」の問題が浮上してきたときに「小山田にいじめられた被害者が可哀想」という声が「一切なかった」ということに、サクラコが「恐怖を感じた」らしい。
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「小山田は酷いヤツだけど、小山田の音楽は素晴らしい」
私が見かけた小山田擁護派のネットの論調は、ほとんどこんな感じだった。「え?これの何が悪いの?」という人は、もしかしたら結構、多いのかもしれない。
私の感覚だと、小山田のことなんてどうでもよくて。真っ先に「いじめられた側の人間の気持ち」を考えるのが正しいんじゃない?
「自分にウンコ喰わせた人間が、国際的行事の重要な役職に就くなんて、精神的に耐えられないのではないか?」だとか。真っ先に、いじめられた側のことを考える。
「25年も前の話だから、忘れてもいいんじゃないか?」という話をするにしても、それは被害者の感覚から導き出されるべき話じゃないかなと思う。それが自然だと思ってた。
ところが、「小山田は酷いヤツだけど、小山田の音楽は素晴らしい」という意見の中に「被害者」の概念はない。「25年前だから時効だ。小山田の音楽は素晴らしい」というのは、あくまで、小山田だけに着目した場合の意見だ。「視界に入っている人間の数」が、すでに違うのだ。
ところが、ひろゆきの「25年も前のことなんてどうでもいいんじゃない?」みたいな発言もそうなんだけど、「被害者側の視点」を一切持たない人間というのは、結構いるんだなと感じた。
「小山田クビ!」という事件が起きた場合は、小山田だけを見て、小山田だけを裁く、あるいは評価する。そこに被害者の姿はない。むしろ、「小山田が被害者だ」ぐらいの感覚。
ラーメンズのなんとかが解任された場合の話もそうだ。「そんな昔の話を持ち出すなんてナンセンスだ」というのは、加害者や擁護する側が言うべき話ではなくて、被害者側が言う話だ。加害者側は、まずは謝罪する以外の選択肢はない。そう、私は思うのだけど、そうではない人が、かなりの人数いる。これは喧嘩になるだろうなと思った。韓国の従軍慰安婦問題も、こういった「加害者側が『昔のことだから忘れろ』と被害者側にいう」という論法や態度が解決を長引かせてるんじゃないかしらね。これは、日本独特の論法なのか。あるいは、世界各国でよくあることなのか?
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ボカロ丼でも「小山田のいじめ問題」が話題になったみたいだけど、「いじめられた側が可哀想」という声は一切なかったようで、サクラコはそこに驚いたとのこと。それで、オリンピック開催がどうこうよりも「いじめ問題」に対して、国がどういう判断を下すかに注目していた。結果、小山田は辞任。サクラコや私としては、納得の結論になった。このことも、私が今回のオリンピックを支持する大きな理由ね。
▼ サクラコは「ボカロ丼」というSNSにいるんだけど、そのサーバー管理者のTOMOKIさんが気に入らないみたいで、いつもブツブツ言ってる。
▼ 小山田がクビになった後、誰が音楽担当になるかについての議論。サクラコはこの時点ですぐ「ゲームBGMの作曲家だ」ということを感じたみたいね。
▼ この「mar」氏みたいな意見は、結構よく見かけた。「これだったら、〇〇みたいな場合でもやめなきゃいけない」みたいな。ロジックが間違ってるわけじゃないけど、この発言には「被害者」の視点は、全く入っていない。サクラコがBT(TwitterでいうところのRT)した発言しか追えていないけど、確かに「被害者が可哀想」という声は、一切なかった。
▼ このTOMOKI氏の発言が、サクラコが「恐怖を感じた」というもの。「小山田いじめ事件」について、割と長い文章を、論理的に述べているんだけど。でも、これも「小山田はアウト、小山田の音楽は素晴らしい」という、終始、小山田に関する意見のみで。被害者の視点に立った発言が全く見当たらない。
いじめられた弱者の側が「それでも、小山田の音楽は素晴らしい」と言うなら美談だけど。いじめた側の仲間だとか、あるいは、全くの部外者が「小山田の音楽は素晴らしい」と擁護するのは、このタイミングではおかしいというのがサクラコの確固たる主張。
▼ そもそも、サクラコは渋谷系が嫌い。
▼ この「るかなんP」氏は、むしろ、小山田を叩く側を否定する意見。何をもって「概ねそんな感じですね…」なのか、よくわからない。当然、被害者視点の話はない。
▼ 「るかなんP」氏は、ここでも「小山田を叩く側」を否定。「25年前のいじめなんて、無罪」というのが強い主張としてあるのかしら…。「ゆっけ」氏も、「小山田を叩く側を否定する」ようなニュアンスの発言をしてる。
まあ、サクラコがBTした範囲、私が観測できる範囲では、確かに「いじめの被害者に寄り添った声」というのは、一切なかった。まあ、揚げ足取りをする気は全然ないけど、かなり「正義」に対する感覚が違うなと感じた。
じゃあ、価値観が違うからと言って、ここですぐに殴ったり蹴ったり、バット振り回すような闘争を起こすような話でもないんだけど。人間が「協調・協力」するのは、本当に難しい。そして、こういった断絶の中で、それでも自分の意見をしっかりと持って、自分と反対の人間とも折り合いをつけて、生き残らなくてはいけないということ。難しいわね。
今回のオリンピックのテーマには「Together」の言葉が付け加えられた。大切なことよね。果たして、そういう「協調・調和」のヒントが、オリンピックで見つかるかしら。スポーツは、チームメイトと協力するゲームだからさ。でも、人生は「敵」とも調和しなくてはいけない。これはホントに深いテーマよ。メグデスも色々なものに反発してるけど、それでも、反発しながらも調和しなくちゃいけないの。
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エロそのものも規制されてるし、ボカロでエロをやることも「規約」で禁じられてる。そんな言いたいことも言えないこんな世の中で、それでもなぜ、メグデスがボカロで「チンポ、まんこ」だとかを歌ってるのか?
へずまりゅうみたいに「ネットで有名になりたい」とか「小銭を稼ぎたい」とか、そういうんじゃないのよ。我々メグデスは、我々がやっていることが、人間としても、芸術としても、正しく、美しく、創造的で、人類に活力をもたらすものだと信じてやってるの。ホントにそうなのかは、続けてみないと私にもわからないわ。
勿論、私はIQ127で言語能力に特化してるから、メグデスを肯定するためのロジックは腐るほど準備してる。でも、人間にとって大切なのは小難しいロジックを披露することじゃない。そういうのはさ、揉めたときとか、裁判だとか、必要なときに、しょうがないから出せばいいの。人間として出すべきものはロジックじゃない。出すべきものはザーメンとマン汁。それだけ。みんな、突いてきて!DLサイトは、今、50パーセント割引セール中みたいよ!
以上
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